名水Ⅴ 穴の谷の霊水

名水は往々にして、何らかの伝説や武勇伝とともに
語り継がれ、今も愛されているものですが
今回ご紹介する穴の谷霊水も同様です。
穴の谷と書いてアナンタンと読みます。
穴というか洞窟があり、修業僧や病への効用を求めて
訪れる人々が絶えない霊場です。

アクセス

富山県上市町黒川にある、山深い谷にある薬師如来堂に
その水はあります。
上市町は、立山連峰のひとつである剣岳の麓。
剣岳は白馬山から立山その先に槍ヶ岳や穂高と連なる
飛騨山脈(北アルプス)の一部。
上市町自体は、宿泊施設や温泉施設もある
ほのぼのとした町なのですが、にも関わらず
そこはかとなく緊張感が漂うのは
錚々たる山々を背にするためでしょうか。

水汲み場

大きな駐車場に車を停め、必要な場合は台車を借り
くねくねとした、しかし平坦な道を10分ほど歩きます。
それは薬師如来堂への参道でもあり、
寄進された如来さん、菩薩さん等々の石仏が並びます。
500mほどすると、108段ある急な階段が。
いったんその辺りへ台車を置いて
階段を下りて行くと、薬師如来堂と霊水口があります。
名水を頂戴する時はいつもそうなのですが
心情的に、まずは浄財を入れてから…となるところ。
この水の場合は、ポリタンクの大きさに応じて
発券機でチケットを購入するシステム。明快です。
薬師如来堂へもお参りして、四カ所ある取水口のうちから
お水を頂戴します。
先ほど置いてきた台車まで汲んだ水を運んでくれる
コンベアーのような有料サービスも。
生活用やお商売用に沢山汲む方には必須です。

硬度

硬度は5.1。能美市の遣水観音霊水に匹敵します。
軟水は水の口当たりが柔らかく、時には甘味もあります。
穴の谷の霊水もこれほどならさぞかし丸く優しい水だろうと
予想しましたが、水単体は非常に中立的だと感じました。
ふくよかさやまろみは特になく、キュキュッとした触感。
かつ、口当たりがどっしりして密度が高く感じました。

お茶を淹れると

まず、やぶきた品種や大棟品種の煎茶を淹れてみました。
香ばしさ、うま味や甘味が際立たない
言ってみれば地味で毎日飲んでも飽きない煎茶です。
聞香杯で確認すると、お茶の香りは
ふわっと漂いますが持続性がありません。
続いて水自体の香りが前に出てきました。
飲んでみると、口当たりは柔和で円やかです。
味は淡泊で、まるで春番茶のようでした。
余韻や後味といったものは少なく
すっと喉元から印象が消えるお茶でした。

次に、釜香の強い釜炒り茶を。香気が濃厚なものとなると
お茶の香りは水に負けることなく、しっかり出ていました。
味は、煎茶同様に円やかな口当たり。味は、やはり淡泊で
渋味の要素もほとんど感じられません。

花香のする半発酵茶の場合はどうでしょうか。
不思議なことに、ジャスミン系の花香が
いつもより濃厚で僅かに異なる香りになっていました。
水自体の香りと混在した結果でしょうか。
決して不快ではないのですが
水道水で淹れた時とは確かに違う香りです。
味は、通常はさっぱりしていますが
この水だと濃厚に感じられました。
口当たりが円やかであることが理由だと考えられます。
余韻は短く、すっと消えていきました。

紅茶も淹れてみました。
香気に完熟の桃のような強い果物香と
ミルクティーにもできるほどの濃厚さがある紅茶です。
このようにもともと香気が強いためか
一煎目の香気はしっかり感じ取ることができました。
しかし二煎目の香気は水道水の場合よりも弱くなりました。
味わいや口当たりも通常と異なりました。一煎目
からコクが弱い、ふくよかさがない、平坦な味でした。

台湾茶の鉄観音を淹れてみました。
ハードボイルド、猛々しさ、渋味にも近い強さと
余韻のマイルドさがあるお茶です。
そのように相反する点が鉄観音の魅力だと思っています。
お茶の世界では通常、酸味という表現をしないものですが
鉄観音だけは別だと考えています。酸っぱさではなく酸味。
この水で淹れると、香り味わいともに淡泊。
良い意味での軽さではなくあるべき角まで取れていました。
余韻も短く、あっさりしたお茶だったという印象が残ります。

これらを纏めてみると、下のような特徴が認められました。
① いつもの水道水よりも香気の持続性が低くなる。
② 煎茶や釜炒り茶のような不発酵茶、
烏龍茶のような半発酵茶は円やかな口当たりになる。
③ 紅茶や焙煎したお茶の場合は味わいをフラットになる。
④ 後味の持続する時間が短く、余韻の弱いお茶になる。

要は、水自体の特性である中立性が
お茶の表現にも影響しているのだと思います。
繊細なお茶は水の円やかさで深みが増したように感じさせ
濃厚だったり尖ったところがあるお茶は、柔和にする。
香気は、お茶の持ち味を引き出すというよりは
水の香りと混ざり合わせたり、むしろ水の香りでコーティングしたようにする。

軟水は概してお茶に合うと言います。
しかし、「軟水+良質のお茶=必ず美味しいお茶」
というわけではないと感じます。
あくまで水にお茶の香味を載せているだけで、主体は水。
その水の持つポテンシャルの範囲内で
お茶を味わっているということです。
いつものお茶を、いつもと違う水で淹れてみるのも
面白いことかもしれません。