紅茶が紅茶になったのは

お茶の、世界での消費量を見てみると
紅茶が7割-8割を占めており
緑茶や烏龍茶はそれほど多くありません。
それほど広く嗜まれている紅茶ですが、
現在のような紅茶
(オレンジ色の水色に紅茶特有の香りと渋味がある
いわゆる完全発酵茶)が完成したのは
そう遠い過去のことではないことをご存知でしょうか。

今回は、紅茶を現在の紅茶にするために
多大な貢献を成した国と言ってもいいイギリスを中心に
紅茶の歴史を綴ろうと思います。

欧米へのお茶の伝来

欧米に初めてお茶が伝わったのは17世紀初頭です。
実際は、ポルトガル船が16世紀にも伝えましたが
その際は、広まることはなかったため
実質的には1600年代の始めにオランダが
中国のマカオや日本の平戸から
お茶を輸入したことが最初です。
続いて、フランス、イギリスやロシアにも伝わります。

イギリス国内での広まり方

イギリスとお茶の関わりで
必ずと言っていいほど登場する出来事のひとつに
1662年チャールズ二世に嫁いだポルトガル妃キャサリンが
飲茶の風習をもたらしたことがあります。
その後、貴族階級の女性の間で
社交のためのお茶会が始まり
ワインなどに代わって人気を集めました。

このように、イギリスのような硬水が主となる国では
庶民は、日常的にアルコールを飲んでいました。
なんということでしょうか!
当然、中毒者も出て経済的にも非効率だったため
上流階級に限らず、広く一般にも
お茶や珈琲のような、新しい飲料に注目が集まりました。

さらに、お茶の方は身体への薬用効果も取り上げられ
1660年には、イギリスでのお茶のポスターの中で
精力増進、頭痛、不眠、倦怠、胃弱、食欲不振、健忘症、壊血病、肺炎、下痢、風邪に対する適応症があると宣伝されたりもしました。
凄い期待がかかっていますね!

結果的に、フランスやオランダでは珈琲やココアが根付き
反対に、イギリスではお茶が普及しました。
異国趣味や目新しさもあり上層で嗜まれたお茶と
実益を兼ねて一般庶民に広まったお茶という
二つの流れがあったのだろうと感じます。

当時のお茶

当時はまだ現在の紅茶の製法は定まっていませんでした。
そのため、イギリスに輸入されていたお茶は
中国の緑茶と烏龍茶と言われています。
またそれは、グリーン・ティーとブラック・ティー
と呼ばれていました。
現在では、烏龍茶はブラック・ティーでなく、
ウーロン・ティーと呼ばれています。
当時の烏龍茶は、黒に近い色をしており
緑茶と烏龍茶の二種しかなかったので
大別してこのように呼ばれていたようです。

また、面白いことに1700年頃の記録によると
輸入されたのは緑茶の割合が高いことがわかっています。

イギリスと言えばミルクティーのイメージがありませんか?
ミルクを入れて飲むというスタイルは
17世紀後半からあったようです。
そう聞くと、オレンジ色の紅茶にミルクを入れていたと
思い込みがちですが、実はそうではなく
今でいう緑茶や烏龍茶にミルクを入れていたのです。

アッサム種の発見

それから100年以上が過ぎた頃。
紅茶の歴史における大きな発見がありました。
1823年にイギリス人のロバート・ブルース兄弟が
インド、アッサムの奥地の山中で
野生のアッサム種の茶樹を発見します。
それまで、チャノキと言えば灌木で小葉の中国種でしたが
アッサム種は喬木で大葉、より発酵が進みやすい性質をしています。
紅茶になりやすい性質のチャノキが発見されたのです。

とはいえそれでも
すぐにお茶が変化したわけではありませんでした。
1838年、ブルースが刊行した紅茶製造法の記録によると
中国人によってアッサム種の茶で作られた当時の紅茶は
現在で言うと、烏龍茶の製法と同様に
半発酵茶の製法で作られているのです。
作られた地域は比較的低地で緯度も低い場所でしたので
それまでのお茶よりは高発酵だったことも想像できますが
やはり、製法は烏龍茶のままです。

紅茶の完成

完全発酵茶の製法が最初に記録されるのは
1870年代のことです。
これはインドにおける紅茶の製法として記されています。
また1875年頃、中国の祁門における工夫紅茶でも
同様に、紅茶の製造が始まったとされます。
これを契機としてアッサムにおける紅茶種の栽培が急速に発達します。
中国の製法を簡略化、機械を導入、日数の短縮化により
一定の品質で大量に製造することが可能になりました。

アフタヌーン・ティーの紅茶

イギリスと言えばアフタヌーン・ティ・パーティ。
これは前述したとおり
キャサリン妃の影響を契機に貴族階級に広まり
18世紀には中産階級の人々も客間で楽しんだとのこと。

そこで飲まれたお茶は、ずっと同じだったのではなく
中国の半発酵茶から
次第に現在のようなオレンジ色の紅茶に移り変わっていたのでした。

オレンジ色の紅茶でアフタヌーン・ティーが楽しまれたのは
まだ、ここ150年ほどのことです。

日本の紅茶づくりにも

しかも、日本から紅茶を学ぶために
初めて派遣された人々がインドの地を踏んだのも
ちょうど同じ頃、1876年のことでした。
翌年にはさっそく高知県で紅茶が作られ、輸出もされています。

日本での紅茶づくりは、ここ10-15年ほどで再び急成長しています。
紅茶の産地からはほど遠いイギリスの人々が
何百年にも渡って、自国の食生活やニーズに合うものを
求め続けてくれたおかげで
日本も美味しい紅茶を生み出すベースを
築けたのかもしれません。

 

参考文献
発酵茶にまつわる問題」 中川 致之
「ヨーロッパへ発信した日本と中国の茶の文化」 角山 榮
「茶の世界史」 松崎 芳郎