お茶を淹れる道具の話Ⅷ
~茶海・聞香杯Ⅲ~

中国では、お茶を選び、淹れ、嗜んだり
しつらえや道具を賞翫したりといった一連の行為を
「茶芸」等何らかの名称を授け
一つの芸術的行為として位置付けたり
芸能として確立させ世代を超えて
伝承するといった流れはなかったようです。

いや、これだけ広大な国土ですから
どこかではあったかもしれません。
しかし、国全体少なくとも特定の茶産地や
特定の文化都市といった一定の地域全体に渡る
動きは、調べる限り、見うけられません。

この理由を私のような者が論じるのは非常に不自然なので
本当はしたくないのですが…
おそらく、中国大陸では、わざわざそのような名称を掲げて
自国の文化と称する必要がないほどに
生活に根ざしていたことが一つの要因だろうと思います。
また国土が広大で、茶種が膨大となる上に
人の往来、物資の流通が発達していたことが
かえって、一つのスタイルをもって、
中国の茶の淹れ方や飲用法の代表例であると
定義付けにくかったことでしょう。

台湾では

台湾におけるお茶の歴史を記録に残る限りたどると・・・
約200年前、中国大陸から渡ってきた人々によって
茶の苗や製茶技術及び喫茶の習慣がもたらされ、
それ以来お茶は、主として輸出用に生産されてきました。

一方、台湾の人々は全くお茶を
飲んでこなかったかというと、決してそうではありません。
飲茶の風習は、長い間、農村部つまり
お茶が採れる地域や近隣に限られていました。

変化が起きるのは1970年代から。
二つのことが同時に起こります。
一つは台湾茶の、輸出用から内需への変化。
もう一つは、中国大陸由来の喫茶習慣の台湾化
ならびにそれを芸術的行為として高める国内の動きです。

輸出用から内需に変化した背景には
中国本土が茶の生産と流通に取り組んだため
中国の茶生産量が飛躍的に伸びてきたことがあります。
台湾茶はその輸出先を失い始めます。
一方台湾では戦後の経済成長で国民総生産が堅調に伸び人々の経済力が上がっていました。
その結果、1980年代から徐々に
台湾茶は、国内での需要が高まっていったのです。

次に台湾茶を飲用する行為を
芸術的行為として高め位置づける国内の動きについて。
1970年代、台湾では中華文化復興運動が盛んでした。
中華文化復興運動とは、切り絵や劇や絵画など
様々な芸術的可能性のある行為をあらためて認識し
伝統として位置付けていくための強い動きです。
台湾茶を飲用する行為が「茶芸」と命名され
文化の一つと位置付けられたのもこの時なのです。

壮大な歴史上の事実を大変ざっくりまとめてしまいました。
詳しくは「現代中国茶文化考」が頼りになります。
引き続き、台湾での茶芸のおおもとになっている
工夫茶などについてご説明していきます。

参考文献
「中国喫茶文化史」布目 潮渢 著
「茶の世界史」松崎 芳郎 著
「現代中国茶文化考」王 静 著